奄美大島産直紀行・最終章−大島紬ができるまで編。
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絣締 |
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テーチキ |
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テーチキの染料の色 |
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泥染め |
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目破り |
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色差し |
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絣筵分解! |
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機織 |
私が大島紬を最初に買ったのは、横浜の古着屋さんでです。泥染めの7マルキの竹の柄です。どんな飲み会でどんな失態を繰り広げても、着物が全然汚れない大変な優れものです(間違った認識)。諸先輩方の一部には、「大島・大島なんて、ブランド狂いみたいでなんだかねぇ」という文章を残されている方がいらっしゃいますが、意地悪ってなぁ言やぁいいってもんじゃあないんだぜ? これだけ名前が巷に渡っているということは、それだけ多く愛されているということではないのかい?
その大島紬が織られる工程を簡単に紹介していきたいと思います。
まず、デザインを起こします。
そのデザインをもとに、大島紬の図案に従い文様部分を固く織込みます。経糸の綿糸で絣になる絹糸を織締めすることにより、織込まれた部分が綿糸で防色されるのです。つまり、ここで一回一反分、絹の糸と綿の糸で織ってしまうのです。この「絣締」はとても力のいる作業で、男性が織ることが多いようです。ここで使った綿の糸は、泥染めの後で、丁寧に取り除かれていきます。あぁっ、もったいない!
泥染めとは、テーチキ(車輪梅−しゃりんばいと読みます)の煎じ汁に糸を浸し、鉄分の多い泥水につけて媒染したものです。テーチキの色はココア色で、タンニン酸が多く含まれています。
糸が出来たら次は染色です。大島紬の場合は「泥染め」を行います。さきの車輪梅で染めた糸に、色を落ち着かせるために行うのが泥染めなのです。泥染めは力がいる仕事で、泥の田圃の中に男の人がずぶずぶとはいっていき、腰をかがめ、糸にムラのでないよう何回も何回も泥に浸しては絞り、絞っては浸し、という見ているだけで腰が痛くなってきそうな作業を繰り返すのです。泥田はいくつかあり、鉄分などの染める力が弱まらないよう、まわしまわし使うそうです。
糸が染め終わったら、絣締で締めた絣の部分を解く作業です。「絣部分解き」とか「目破り」と呼ばれる工程です。
部分解きした絣に、図案に基づき染料をすり込む「色差し」の作業を行います。これも男性のお仕事のようです。写真を見てもわかるように、筵(むしろ)のようですが、絣筵(かすりむしろ)と呼ぶそうです。
次に、色差しが終わった絣筵を解き、最初に織り込んだ綿糸をすべて取り除きます。絣はばらんばらんになります。縦糸を図案に沿って配列しなおし、縦絣を板にまきつけ、機にかけます。ここからが織る工程なのです。
諸々の準備を終えようやく機にかかり、機織が始まります。約13mの織物を織り上げていくのです。あぁ!
こういう工房を見学させてもらっているとき、いつも思うのは、着物は、糸を作るまでなんて大変なんだろうということです。勿論織ることも大変なのですが、機にかかるまでに、何人もの手によって、気の遠くなるような工程を経ているのです。
本当に、大島紬が作られていくこの現場を見ると、着るだけというのはなんと気楽な身分なのかと思ってしまいます。『申し訳ないっ! たくさん着るのでどうぞたくさん作り続けていってください! よろしくお願いします!』とココロの中で叫びたくなります。
さて、最初に申し上げた「マルキ」について補足を。
マルキとは、経絣糸の本数を表わす単位のことで、経絣糸80本が1マルキで、9マルキ、7マルキ、5マルキなどがあります。その経絣糸の本数が多ければ多いほど、経と緯の絣合わせが難しく精巧な絣となります。その絣というものは、
大島もよく見ていけば、例えば大嶋紬村に1時間でもいれば、7マルキと9マルキの区別はすぐつくようになります。この二つは、日本橋三越でいえば、奥の超・高級品売り場でないほうで見ることができると思います。12マルキ、総絣、割り込み、といったタームが出てくると、奥の超・高級品売り場のガラスケースの中に陳列されるようになります。
私が奄美大島で買ったのは、地空きというものですが、これは、黒い地に柄が飛んでいるものです。地空きの中に絣で柄行を織り出すということは、なかなか大変なことで、間違いの無い技術力と慎重さが織り手に求められるのだそうです。柄ゆきは一見単純に見えますが、今は織り手が少なくなっているようで、「どんどん貴重なものになっていってます」と説明されることが多いです。うむぅ。
最後に、私の大島紬に対する思い込みについてその5でまとめたいと存じます!
わー、もー、まとめすぎ!
2005.2.7
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