今回の旅行のメンバーは、以下の3人。
『不肖・菅沼、死んでもキモノは離しません!』の私。
前回の「琉球布紀行をおっかけろ!」ツアーで同室だったMさん。
旅の先導役:青山ゑり華の社長のH岡氏(以後、社長)。
この3人が羽田空港の出発ロビーに集まったのは、金曜日の午前5時半、えぇ、あたくしだけ遅刻したんですけどね。12月の東京の午前5時の空は、暗いものだのぅ。石垣島直行便は午前6時半に羽田を出る。美しい朝日を存分に浴びながら飛行機は一路南へ。石垣島に到着した後、到着ロビーまでのわずか50mほどの距離をご丁寧にバスで送っていただく。ご丁寧な・・・。20分後すぐ様、与那国島行きの飛行機へ乗り換える、ここで旅行第一回目のオリオンビールが登場。与那国島へは石垣から飛行機でおよそ25分。水平飛行に入ったかなーと思ったら、着陸態勢に入るような短い空の旅。あ、なお、今回の爆走ツアー、搭乗機はすべてボーイング737でございました。ボーイング737、大好きー。あのくらいのサイズの旅が具合がよい。
与那国空港の短い滑走路の上を目いっぱいの力でブレーキをかけて止まるボーイング737。タラップが用意されそれを降りる。うーん、乗客の皆様が全員徒歩で到着ロビーまで歩いている。徒歩で! なんなんだ、この伸びやかさは! そして、その空港から見渡したその土地の第一印象は「まったいらな土地!」というものでした。午前11時の空は12月のものと思えないほど青く、空港は大規模な道の駅程度の大きさで平屋建て。
空港を出て、タクシーを待つ短い行列に並ぶ。並んでいるそばから、「この島にはタクシーは一台しかいないからね」という地元の人の声がする。あらあら、あたしたちゃ、この右も左もわからない土地でどうすりゃいいのかしらん、ときょろきょろしていたら、たまたま旅館の方がそこにいて、車に乗り込ませてもらう。
与那国島というと与那国蛾、与那国馬、Dr.コトー診療所のロケ地くらいしか思い浮かばなかったのだけど、なんといいましょうか、本当にまったらいな土地で、道を走ると、牧場がよく目に入る。とにかく牛が多いのです。人間の数倍の数の牛がいるのではないでしょうか?
ここで与那国島の基本資料をお知らせしますと、世帯数793戸、人口1718人、周囲27.49km、面積28.88ku。石垣島から127km、台湾から111km、二つの島のほぼ中間に位置する島。高橋尚子さんなら2時間もあれば一周できてしまうのかもしれない小さい島。南西諸島の中で同じサイズの島を探すと、台風のときによくニュースに搭乗する南大東島(特に用事はないけどいつか行ってみたい島)、宮古島から船で行く伊良部島の次の大きさ。ちなみに前回行った久米島が59.11kuで、与那国のほぼ倍。ちなみにちなみに、沖縄本島は1,204ku、西表島は289ku、石垣島が222ku、宮古島が159ku、その次が久米島だから、沖縄県には小さい島がまだまだたくさんあるということですね。沖縄の地勢についてはこちらのページ(http://www.pref.okinawa.jp/tochi/)が参考になるので、ご興味のある方は是非ご覧下さい。
ついた旅館は、赤瓦の美しい大きめな民家。希望と落胆がちびりちびりとないまぜになる。畳の部屋に、サッシの窓。徹夜明けの私は、畳の上で窓から入る風に身をまかせ、ちょいと仮眠を。まるで、隣町の祖母の家に泊まりにきたような気分。
正午になり、不安気な顔でおそるおそる食堂を探しに行くのだけど、「やってるよ」といわれていったお店は休業中。結局旅館の前のお店「どんぐりと山猫」まで戻り、その店で昼食をとる。ここで二回目のオリオンタイム。食材がいろいろと足りなかったらしく、頼もうとしたメニューがいくつか断られる。お昼時なのになーと思っていたら、お店の人が「今日の午後、船が来て荷物が入るから、夜になれば大丈夫なんですよ」と教えてくれる。私は、そのとき、はじめて「自給自足」という単語を思い出す。
社長は、行く前にさんざんお友達の方から「与那国、なんにもないっすからね!」「時間つぶせないっすから!」と釘をさされていたらしいのだけど、やはりそんな旅になるのかしら、と3人とも不安な面持ちに。「すごい(のんびりしたなんにもない)島ですねぇ」と私がぼそっとつぶやくと、社長が「来たいって言った人、誰でしたっけ?」と返す。「うぅ、あたいですぅ」と力なく答える。そんな中でもMさんは、うふふとにこにこ見守ってくださっている。あぁ、Mさん、あなたは今回の旅の間中、天使のようでしたよ・・。
ここまで与那国編第一部です。長いなー。長くなりますよ。
2005.12.6