食事を終え、なんとか元気がでてきた3人組を迎えにきてくださったのは、与那国町伝統織物協同組合の方。この島の多くの女性は、日本の各地方の女性たちと同じように、四輪駆動の軽自動車を乗りこなす。そのミニバン型の軽自動車に乗せていただき、自宅で織っておられる方たちのところまで案内していただく。
一軒目は、Nさんのご自宅。中庭を通ったとき、お子さんの部屋が見えた。壁に阪神タイガーズのユニフォームと帽子がかかっている。与那国でなぜ阪神タイガース?と思っていたら、「この方は四国から移住されてきた方なので」という。以前阪神の春季キャンプが張られていた高知の安芸のあたりから移住されたのだろうか、と納得する。Nさんは14年前に与那国島に移住されてきたそうだ。彼女は、与那国島へ移住してきて染織を始めた女性たちの草分け的存在のひとり。
内地でのほほんと暮らす人間からしてみれば、その子供部屋の壁を飾る阪神タイガーズのユニフォームや現在彼女が織っているレモンイエローの軽やかな与那国織を眼にすると、「一体なぜ」「こんな絶海の孤島に」「知人も少ないだろうに」という単語がぐるぐる渦巻く。しかし、彼女の言葉を継ぎ足していくと、「まぁ、何度も昔から与那国にはきていたし、引っ越してきて、それから与那国織を覚えて、今に至るのよ」ということだった。ごく自然な感じで島の暮らしを選んだようだった。
ここで、馬場あきこさん風に、あるいは澤地久枝さん風に、苛烈な道を選んだ女の生きかたを問うてみることも可能なのだろうけど、多分、そういうんじゃない。そういうんじゃない。サーフィンやダイビングが好きでそのまま土地にいついてしまった気軽な人のように、与那国島に根をおろした方なのかもしれない。なのになぜだろう、「どうして、ここ(与那国島)に、あなたはいるのですか?」とあらためて尋ねてみたくなる、不思議な魅力をたたえた方でした。もしかしたら、彼女は、「じゃぁ、なぜ、あなたはそこ(東京)に(まだ)いるのですか?」と問い返してくるかもしれないのだけど。あぁ、うまく書けないー。
次にお邪魔したのは、組合の前理事長・御倉とし子さんの工房。ここでは、木綿の織物・ドゥタティ(イタリアの名車『ドゥカッティ』っぽく発音すると吉)などを見させてもらう。ドゥタティは、青と白のギンガムチェックのような格子模様の織物で、昔の作業着、今の祭り着。昔はこのドゥタティにカガンヌブーという帯を締める。ドゥタティは、1反の織物から2枚分作ることができる黒い衿がついた筒袖の単の着物。袖も半分、裾も半分、お端折なんてもちろんない。涼しくて軽くて土地の風土によく合った野良着。これはさぞかし気持ちいいだろう!と、素直に思う。なぜか、長谷川町子さんがこの地に旅にきていたら、一枚買われたのではないかとぼんやりと感じた。浴衣がわりにお土産として買い求めていく方もいると聞く。彼女だったら、きっと買ったにちがいない。いや、長谷川町子さんが買わなくてもご姉妹の方が買われたに違いない。
畑に囲まれたその工房の隅では、整経途中の糸が巻かれていた。自転車のスポークを使った糸巻きもある。小学校低学年のお孫さんが織っているという与那国花織のコースターがかけられた機。もう何年かかけっぱなしという織り途中の「ドゥーチバナ」。これは花嫁衣裳のものだそうだ。暮らしの中に、あたりまえに息づいている織物の姿を見ることができる。ちょっとじんわりする光景。御倉さんはスーパーカブに乗って、島中を駆け回り後継者の育成に尽力されているそうだ。たくましいなぁ、と感嘆!
その後、組合の方のご厚意で島の観光をさせていただく。島一番高い山に登り、島の面積の1/3を占めるであろう牧場に案内していただく。ちょっと写真でご案内。与那国馬はそんなにいなかったけど、食用の馬やら牛がのんびりと余生を(余生・・・)をすごしておられました。軍艦岩も見られましたことよ。
2005.12.26 |