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「ちどり」という着物屋さんを始めました。

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タイトル

先日、百貨店の催事場にて、非常に具合のよい久米島紬の未着用古着を羽織らせてもらった。
久米島紬とは、力強い茶色や黒色の地に、絣模様(イカット)やツバメの形をしたトゥイグワーという模様が入っているものです。その生地はなでるとあたたかい感触がし、しなやかで艶もある。島で採取される植物から採った染料と泥によって染められた5色の基本色、黄色・鶯・鼠・赤茶・焦茶で織り上げられる。特にオレンジ色にも見える黄色は、太陽のように美しく、焦茶の地に美しく映える。島の土の色と、太陽の色の織物。この織物の過酷な歴史については澤地久枝さんの『琉球布紀行』などを読んでいただくことにしまして、織物全体からみなぎるオーラに身をゆだねたくなってしまう、大変魅力的な織物。個人的には、『島の女のロック』と名づけたい。

その着物を羽織ってからというもの、久米島紬に恋焦がれるようになった私は、友達と誘い合って、昨年夏、夏大島を買った鎌倉の古着屋へ足を運んだ。本当に、『運ぶ』という言葉が似合う距離・・・。
その古着屋さんに着くなり、6畳の着物部屋にお邪魔させていただき、たとう紙のすきまからちらっと見える生地を頼りに、片っ端から目をつけた着物を棚からひっぱりだす。十数枚だしたところで、どれどれと腕をまくって一枚一枚広げて確認する。 しかし、この一年で織物を見る目を養うことが出来たのか、選んだものはほとんどが、その店の中では上等な部類に入る産地ものの織物ばかりで自らの成長ぶりにえっへんとえばりたくなったり、予算不足にしょぼんとなったり。畳まれている状態のまま、両手でもって左右に広げ、丈を確認する。行けそうだったら、今度は頭から垂れさせてもう一度確認。身丈が足りるものであれば試着用によりわける、丈が足りなければ棚に戻す。
大島はもう一枚あってもいいがあと数年あけてから買い足してもまだいい、小紋はあわてて鎌倉で買う必要もない、結城は丈があわない、あら間違えて宮子上布をとっちゃった、夏物は今はいいや、と選別作業の繰り返しの結果残ったのが、辻村ジュザブローの作った華やかな中振と、一瞬久米島紬かと見間違えた米沢紬だった。
冷静に考えて、世間一般の人が考える着物らしい着物のデザインなのだが、黒の縮緬に大きな蝶が紫のぼかしでとぶような中振を着る機会はまずなかろうということで、これも棚に戻す。伊達や酔狂で買うにはちと値段も張ることだし。そして残った米沢紬。
この米沢紬が曲者で、素人目で見ても上等な織物だとすぐわかるし、伝統工芸の金のマークもはいっている。地は濃い濃い焦茶。絣模様は上品な桃色。絣のレイアウトもほどよく品よく、久米島紬のような力強さはないが、やさしくあたたかい印象がする。茶色とピンクの組み合わせが好きな私としては、ひっくり返りたくなるほどストライクゾーンで、羽織ったところ非常によく似合う。身丈もたっぷり、お直し不要。その店での売値もちょっとしたもので、買ったら一生もので楽しめることができることは間違いない。

間違いないのだが、おいおい、今日は久米島紬を買いにきたんじゃなかったっけ?

ところで、米沢紬について解説したいのだが、情報がなかなか見つからない。米沢藩主中興の祖・上杉鷹山が藩財政建て直しのため、養蚕を奨励し、各地から人を招き織物技術を学ばせた。その結果生まれた長井紬・白鷹御召・米琉などを総称する置賜紬のひとつ、というのがオーソドックスな説明のようだ。各地の織物技術をいろいろと吸収し昇華してできたものが、この米沢の地の織物だということだろう。
久米島紬は、薩摩藩の琉球入りに伴い、貢納布織りを強制されるようになる。貢納布はその価値を高めるために、越前の養蚕や真綿の製法といった技術や、八丈島の泥染めの技法が伝えられた。薩摩を介して江戸に送られた久米島紬は、「琉球紬」と呼ばれ珍重され、久留米絣、結城紬に多大な影響を与えたという。そのため、久米島は『日本の紬織りものの故郷』とも呼ばれている(東京美術「すぐわかる 染めと織りの見分け方」より)
このふたつを考えると、ちょっとした物語が頭に浮かぶ。
久米島紬が南の島から薩摩藩を通して江戸に旅する。江戸勤めの米沢藩の某氏が珍しい琉球紬を買い求め、米沢に持ち帰る。「どうだい、こんなのできないかな?」「この黄色は出せないな。これは琉球にしか生えない植物だろう?」「だったら米沢の物を使えばいい」「紅花なんかはどうかな?」「それはいい。こういう焦茶にほどよく映えるんじゃないかな?」「絣模様はどうする?」「イカットはこのまま使うとして、ツバメはやめておこうか。こっちじゃこんなに勢い良く飛んでるようには見えないし」こんな経緯があったんじゃないだろうか。そして、この目の前の米沢紬。久米島紬より、照りがあり、茶色もずっと焦げている。目をつぶって二枚触れば、ふたつの織物が違うものだということは、指先の感触でわかる。なのに、二枚は親子のように見た目がそっくりなのだ。久米島から出発して、米沢で生まれ変わって、ここで私と出会ってしまったのだ。

絵
しかし、かような古着屋さんで気兼ねなく産地ものの織物を触らせてもらうと、自分の持っている着物がその地出身でないことがよくわかりますね。結城だと思っていた物は、確かに織り方こそ結城だが、本結城とは手触りが全然違う。あぁ、なるほど。うむうむと触り続けて勉強・勉強。

南の織物を買いにきたのに、それそっくりでさらにかわいらしい北の織物! 買うべきか買わないべきか悶々としていたところ、店員さんが見かねて声をかけてくれた。

「この着物は本当に素敵だけど、久米島紬を探しているのなら、久米島紬をじっくり探すのもひとつの選択だと思うよ。この米沢紬は、今日明日売れちゃうってもんじゃないから、じっくり考えなさい」

あの状態で、客にそう言える店員さんというのも素晴らしいと思う。

というわけで、現在思案中。しかし文章を書けば書くほど、あの米沢紬が惜しく思えてきて・・・。

今日の私の優柔不断っぷりはまるで、斉藤一を探しにNHKのスタジオまでいったら、オダギリジョーがでてきちゃって、『実はどちらも同じDNAでできてるんですけどどうされます?』と三谷幸喜さんに言われたような、そんな感じかしら。

2004.09.04
KIMONO MICHI −キモノミチ−着物道−きものみち−2003-2005