奄美大島産直紀行・最終章−どうして私が大島紬にノックアウトされたのか編。
私が大島紬を最初に買ったのは、横浜の古着屋さんでです。なにはともあれ、世の中には大島紬というものがあるらしい。それはどうやらしゃりしゃりっとした着心地で、織物好きなら必ずや一枚は買っちゃうものらしい。そんなら私も着てみたい!と思ったのがひとつの理由でした。一番近い着物好きの友達が大島紬をよく着ていて、よく見慣れていた織物だったから、という理由もあったのかもしれません。
バブル直前の時代、ものすごい大島紬ブームがあったらしいです。私の母はその世代のようですが、彼女の箪笥の中には大島はありませんです。当時は、技を競いあいながら、12マルキまで細かく織ったり、何千万クラスの細かい細かい割り込みをふんだんに利用した柄までいろいろと世に出たらしいです。大量生産を求められ、その影で無理な織り方をしたり、若干の手抜きが重なったりしたこともあり、一時は随分と落ち込んだそうですが、今はそのときの教訓を生かし厳しい品質管理のもとよい織物を作ってるとのことでした。
私が「大島」という言葉を初めて文字で読んだのは、やはり『サザエさん』でした。
サザエさんの買い物につきあい百貨店に出かけるマス夫さん、呉服売り場で着尺を体にあてる見知らぬ奥様にむかって、「奥様、お目が高い!」と声をかける。奥様は答える、「どうかしらこの大島」、マス夫さんは相槌を打つ、「このベージュは今年の流行色なんですよ」。4コマ目、サザエさんが合流し、奥様が怒る、「なによ、あんた、店員じゃなかったのね!」・・・手元にないので私のうろ覚えなのですが、確かこんなオチじゃなかったかと思います。今思うと、ベージュの大島って、どんな大島だったんでしょうか。泥染めの薄い色で織られたものだったんでしょうか? 男のマス夫さんには泥染めがベージュに見えたのかもしれませんね。
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ガツンとした帯 |
この大島紬ですが、着てみるとよくわかるのですが、織物の生地がしなやかで、さらりとしているのです。ひやっとするので真冬には向かない織物だといわれていますが、着姿がきりりとするので私はおとても好きです。泥染めの大島は、やさしいピンクの半襟できるとぐっと女らしくなると思うし、白い襟の場合凛々しくみえるのではないかと思います。また、茶色の織りの着物は洋服の気分で着ることができます。平成の東京の風景にあまり違和感なく溶け込める織物だと思います。
無難なざっくりした帯でまとめるとあまり評価を得られませんが、ガツンとした帯を締めると「おぅっ」と洋服を着る人からもちょっと褒められます。
大島紬については、旅から旅さんの「旅から旅の着物のおはなし」がとても参考になります。特にこのページで解説されている絣の話など、何度読んでも勉強になります。
大島紬は、私にとっては、一枚持っていればよいというものではなかったみたいです。この独特な手触りは、一度慣れ親しんでしまうとなかなか手放しがたく、ねんごろになってはまた別れ、別れてはまたよりを戻すような、そんなだらしのない関係でも全然ウェルカム! むしろオッケー! 鬼平犯科帳でいうと密偵の伊三次みたいなヤツなんですよ! よくわかんないけど伊三次みたいなやつなんですよぅ!
まぁ、とにかく、一枚あればいいと思っていた大島紬でしたが、やはり地空きのものも欲しくなり買ってしまったわけだ、私には無敵の夏大島(自称)もあるわけで、次はあれかい、白大島かい?と自分で自分をとっちめたいところなんですが、大島を買ってから一月も経たないうちに、あたい、えらい買い物しちゃいまして。。。。次回、「熱いぜ、日本橋三越!」に続く!
2005.2.8