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「ちどり」という着物屋さんを始めました。

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タイトル

八丈紀行その5 八丈島駆け足一周観光編

今回、黄八丈を見に行ったはずなのですが、八丈島の人のやさしさと、自然の美しさに心を奪われてしまい、「黄八丈? いいよっ! また買いにくるよ!」とあっさり考えがまとまった私たち、最終日(といってもたった二日間の旅だったのだけど)は、八丈島のお友達に一日かけてみっちりたっぷり島を案内してもらいました。あぁ、すばらしいかな、車での観光・・・・。いや、私たち二人とも免許はあるんですけどね、運転した記憶がないもんですから、その・・・。

今回の観光コースは次の通り。
(1)の底土港近くのお宿でピックアップしてもらい、島を半周し(2)へ。ここで八丈小島を撮影。
南下して(3)の南原千畳敷に。この南原千畳敷は、西山(八丈富士とも呼ばれる) が噴火した際流された溶岩流がそのままべったりと海に張り出したところで、なかなかの奇観。海の鬼押し出しといったところか。火曜サスペンス劇場気分を存分に味わう。宇喜多秀家と豪姫の彫像が、かの地の岡山方面に向かって並んでいる姿を見て、よくまぁ島流しなんてものを思いつくよな、と感心する。だって、ここの荒々しい波や水平線しか見えない広大な海を見たら、島を出ようなどと誰も考え付かないんじゃないでしょうか・・・

(3)からまっすぐに道を走り、大坂トンネルを越え(4)の樫立地区へ。明日葉ソフトクリームを頂戴する。ソフトクリームなのに、ぜんぜん甘くなくてさっぱりしていてとてもおいしい。
続いて(5)の裏見ヶ滝へ。最初は島の人たちの恨みがこもった滝なのかと思っていたら、滝が流れ落ちる姿を裏から見ることができる滝なんだそうな。そこに行くまでがちょっとした冒険で、公園の遊具のような急勾配の玉石造りの坂を登ったり降りたり、階というには高低差がありすぎる坂道を登ったり降りたり。ようやく着いた裏見ヶ滝は、滝と呼ぶにはちょっと水の勢いが足りなかったけれど、亜熱帯の植生を肌で感じることのできる空間でさわやかな気分になる。その眺めはちょっとしたご馳走でした。
坂を下り、次は(6)の藍ヶ江港・海水浴場へ。強い風にも慣れっこの人たちが、釣り糸を垂れている。ヤガラという魚が、小魚の一群を追いかけている場面に遭遇し、興奮しながら見守る。私は、「10分前まで箱詰めされていたんだよ」といった形状のふっくらとした鳥を見ると「ちにゃー」という気持ちになるのだけど、人をまったく警戒しないカモメの白いおなかを見ては、ちにゃーという気持ちになる。
道は進み、(7)の末吉地区の末吉温泉「みはらし温泉」へ。ここは、男女別の露天風呂で料金は600円、営業時間は午後9時まで。おだやかな春の太平洋を眺めながら、のんびりとお風呂に浸かる。あぁ、浸かるったら浸かる。
(7)から(8)へは、登龍峠(のぼりょうとうげ)というくねくね道。運転される方は神経をとても使う場所ではないかと思います。地点(8)からは空港を中心とした島の住宅地が見えます。東京へ向かう飛行機が離陸する瞬間を、なんとかカメラで捉えることに成功・・・いや、だからといってどうってこたないんですけど。。。
最後は(9)の民芸品店「あき」へ。あぁ、あなた、ここにまた丸まった黄色や黒の織物があったのですけど、えぇ、もう、わたしたちは島の自然とその人たちの優しさにおなかいっぱいになっていて、ここではうっとりするだけで友達にお土産を買ったくらい・・・・。
途中、一日案内してくれたそのお友達のお友達がヨットで八丈島へ来るということで、一度底土港まで様子を見に行く。北の海岸線を見ていると、曇りはじめた雲と、白色にかわってきた波の間に、紙の切れ端のような小さい小さい三角形の白いものがちらついてる・・・それがその人のヨットのマストでした。山の子の私にとっては、ちょっと感動的な場面でした。
最後に空港まで送っていただき、解散。私たちは午後5時半離陸の便に乗り、羽田へ戻ったのでした、えぇ、座席はA、伊豆七島が見下ろせるAで! 盛りだくさんの一日でした。ご案内いただきありがとうございました。よい旅でしたよ・・・本当に・・・・。

八丈島には28時間ほどしかいなかったのだけど、これだけの短い間に、海に沈む夕日、夜を白く照らす月、朝には海から昇る太陽を見て、一日一日が毎日明確に切り替わるのを体で感じた。くさいことをいいますが、毎日毎日生と死が繰り返され、再生されているのを、過去に暮らした島の人たちは強く感じていたのではないかと思う。えり華さんで見させてもらった八百子さんのあの織物は、その一日が終わる時間の海の色であり、一日が始まる時間の海の色でもあるのだな、とも思いました。

しかし、島流しという刑を思いついた人って、思いやりがあるというか、えらく冷たい人というか・・・。島流し第一号の宇喜多さんは、流されたこの土地で50年生きたといいますからね。彼のその50年は想像を絶するほど寂しかったとは思うのですが、それだけ長生きできたということは果たして刑になったのかならないのか。。

参考情報:宇喜多秀家ってこんな目にあったひと

2005.5.1

KIMONO MICHI −キモノミチ−着物道−きものみち−2003-2005