織物が好きな方なら一度は読んだことがあるのではないかと思われる本のひとつに、澤地久枝さんの「琉球布紀行」がございます。首里の紅型からはじまって、読谷山花織、久米島紬、芭蕉布、琉球絣といった、沖縄で生まれる織物・染めものの背景を丹念につづった本です。戦争で絶えてしまった、あるいは焼け果ててしまった、沖縄の布たちを現代に甦らせた、過酷な戦後(昭和40年代生まれのいう『過酷』なんて、本当に何の意味も実感もない言葉だけど)を生きた人々の物語。涙もろいわたしは、この本を読んでいると、どの布の物語でも必ず涙をにじませてしまうのです。最初は人に借りたのだけど、読んでいるうちにぼろぼろにしてしまったので、彼女には新品を返し、その本をそのまま譲り受ている本です。
さて、夏も終わる頃、青山ゑり華の社長さんが「沖縄の染織工房を訪ねる旅行に行きません?」と声をかけてくださった、すっごく仕事が忙しい時期に!
行きたいんだけど、むーん、時間がとれないんだよなぁと難渋し、電話口でどう答えようかと思っていたとき、「あれー、いくよね? いくよねぇ?」、社長の声に私の中のなにかがぷちんとはじけて、「行くわよ、あぁ、行くともさ、行けばいいんでしょうぅー、そうでしょうとも、行きますとも!」と力強く返答し、飛行機に乗る直前まで「うー、しごとー、しめきりー、のうひーん」とぶつぶつしていたものですが、これが、あなた、すばらしい旅行だったのですよー。もー。ほんとうにー。
羽田に集まったのは10月の半ばの朝8時。荷物も十分にチェックせず、仕事片して徹夜明けでそのまま羽田に。缶ビール買って機内で飲みつつ、うとうとできたかなーと思ったら那覇空港。10月の那覇空港は花の匂いがして、青い空が遠慮なく広がっていました。
1日目、まず最初に訪れたのは首里の紅型、城間さんの工房を覗かせていただく。首里の坂の途中、古めかしい門の中の奥の、緑に囲まれたところに工房はありました。色鮮やかな紅型の数々にくらくらする。工房の奥にいる老犬が、スタッフの方全員に愛されているのを見てほほえましい気分に。
次に首里織の仲井間さんのところへ。仲井間さんは、本当に素敵な女性で、やさしそうな印象の方。この方が、何色もの色を使った、まるで海のような色使いの、ろうとん織りの帯の織り手だと知る。ゑり華さんの店先にもたまに並んでいるのだけど、似合う着物がないなぁと思い、私はなかなか手が出せずにいたのです。作家さんに間近に出会える幸せ。この旅行のメンバーはとても素敵な方たちばかりだったのだけど、中でもとびきりきれいな奥様が、あの海の帯をお嫁に迎えたと知り、なんだか私まで幸せ。
次も、やはり首里の、琉球絣。これは大城さんの工房。
住宅街の中にある、コンクリート打ちっぱなしの、居心地よさそうな2階建ての工房は、風の通り抜けもよく、とても伸びやかな環境。ここで地くくりの絣を見させてもらう。絣でぼけ足を出す織り方で、描かれた絣の雲は、本当に空を流れていくよう。風と空と雲の島なのだとあらためて感じる。この絣には、感動しました。
夜は、山本彩香さんの琉球料理乃で会食。ふすまをへだてた席では、キモノを着ない人でも知らない人はいないであろう大手着物屋さんの社長さんが、地元の方たちと席を囲んでいたようです。おぅー。ここの料理は、私ごときが論評するのもおこがましい、大変すてきな食事でございました。でも最後は泡盛飲んで、泥酔アンド爆睡。
二日目は、芭蕉布の里・喜如嘉(きじょか)へ。ここでは平良敏子さんの工房を。那覇のホテルから喜如嘉までは車で2時間弱。なかなかの距離。芭蕉布の芭蕉とは、糸芭蕉のことでバナナの仲間になるそうです。芭蕉がなるまでは3年の月日を要し、厳重に管理された芭蕉畑で下草狩り、施肥、剪定などの作業を続けていくのです。この原木を切り倒し、皮の薄さから4種類にわけ、繊維をとりだします。芯に近いほどやわらかく細くなり、それが着物用の糸として使われてます。という工程がわかりやすくまとめられたビデオを見てから、工房の中へ。越後上布の工房を見てきたときも思ったのだけど、その糸を作る過程のなんと地味で辛抱の必要なことか。着るだけなんて、本当に、とても簡単なことなのだと思ってしまう。自分が着ている一枚の着物に携わっている人の数を、手間の数を考えれば、少しでもきれいにきてあげたほうがよい。糸をつくる現場を見ると、いつもそう誓うのです。
なぜか粛々とした気持ちになった後はお昼ゴハン。喜如嘉は長寿の里でもあるので、そこで長寿定食を。華やかなものはなかったけど、なるほど、なかなかの滋養を感じるお味でした。
次は残波岬のちかくの読谷山花織の工房を。工房の中では、若い人から年配の方まで十数人の女性が、自分自身でデザインした帯や着物を静かに織っている。銭花、風車花、扇花という縁起のいい花の柄をくみあわせて織り上げられるその布は、ひとりひとりの思いがこもっていて、なおかつ生活もかかっている。彼女たちは自分で糸を買い、自分でデザインを考え、自分で織り上げ、しかしそれが規格の外であったときには、その仕事がパァになってしまうのだ。その織物を、静かに見学させてもらう。織りあがったら是非見させて下さいね、と声をかけたくなるものばかり。まったく、着るだけってのはなんて楽なことなんだろう。
夜は、ギャラリー真南風にて愉快な観月の宴。古謝美佐子さんの歌と、地元の青年たちによるエイサー。風が強かった曇りの夜だったのだけど、会の終わり頃に空が晴れ、本当に月が顔を出したのには、びっくり。呉服業界の意地を見させてもらったような。
さて、澤地さんの「琉球布紀行」に話は戻ります。この本は、以下の章だてになっています。
首里の紅型 1
首里の紅型 2
読谷山花織と手巾
奄美大島紬
久米島紬
宮古上布
喜如嘉の芭蕉布
八重山上布
琉球藍
与那国織
琉球絣
首里織
逢えなかった人 大城志津子
さて、今回私が拝見させてもらったところは、以下の太字。
首里の紅型 1
首里の紅型 2
読谷山花織と手巾
奄美大島紬(2005.01)
久米島紬(2004.09)
宮古上布
喜如嘉の芭蕉布
八重山上布
琉球藍(これは、工房で藍甕を覗かせてもらいました)
与那国織
琉球絣
首里織
逢えなかった人 大城志津子
沖縄本島でつくられている織物・染めもののほとんどの現場を拝見させてもらったのです。さらにさらにさらに、去年からの泥酔紀行シリーズでは、奄美大島紬と久米島紬の現場を見てまいりました。オゥ! もしかしてそろそろ「琉球布紀行」コンプリート? とはいっても一度見ただけではどうにも覚えきれるものではないし、毎回毎回なんて丹念な作業をされるのだろうと、感心するばかりで、飲みこみの悪い頭では織物の組成から勉強しないと、「????」なままで羽田に戻ってきてしまうのだけど・・・。というわけで、次回の泥酔紀行をお楽しみにー!
2005.12.1