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馬場あき子 きもの随想 |
この本は、きものについてのエッセイ本。単純に書いてしまうとただそれだけの本。今までいろいろなキモノの本を読んできたつもりなのですが(いや、まだまだ、まだまだよぅ、と先達に怒られてしまうかもしれませんが)、これほどまでに生身の女の体を感じさせる文章を読んだことはなかったかもしれません。
なんというか、一人の女の成長を丹念に追った物語・幸田文の「きもの」にも、たまにどきっとするような生な描写がありましたが、この本は、そういった表現がとても多いのです。
女に生まれた人間が、思春期を経て、恋をし、女になり、結婚し、妻となり、母となり、人生の折り返し地点を越え、自分の娘に花嫁衣裳を着せ、晩年しみじみと越し方を振り返る、その都度都度に、そこに居合わせたキモノについての語り口が、33歳の私の胸にずしんと響いてくるのです。
本の前半は、大島や結城など、所謂「産地もの」と呼ばれる織物について、後半は加賀友禅、江戸小紋など、染めのきものについて、そのキモノの成り立ちや、女たちの手仕事のつらさ、さらに上のような物語などを織り交ぜながら描かれています。その文体は、簡潔でありながら、さっきまで人が二人はいっていた布団の中の空気のような湿っぽい艶のあるもので、なかなかぐっときます。私はこういう表現に弱いんです。
久米島紬という織物についてはこのように語られています。
しっかりと織られたみごとな布−。それにしても、このいささか
暗いと思わせる黒地の絣をみていると、原始の火の色そのままの
赤い灯の色に浮かぶ土壁の家の内がわに、何とか調和的に営んで
きた生活というもののみょうな底力が、ある種の衝撃とともに感
慨をよぶ。
今年の夏、初めて久米島紬を羽織ったとき、その織物のもつ力強さとともに、これを織りあげた島の女性たちの指先がふわっと感じられました。推測ですが、南の島の男たちはあまり働かないような気がする、たくましい女たちが家のほかの仕事をしながら根気づよく紬を織り上げる、思い返すこともつらい困難で過酷な島の歴史と伝統を、井桁模様や鳥の模様のなかに織り出す。あぁ、島の女の魂が感じられ・・・というわけで私の中では久米島紬は「島の女のロック」というサブタイトルがつけられたわけですが、彼女の文章にもそれに似た表現があり、どきっとしました。
この本は、友達が進めてくれたものなのですが、先日その彼女とお茶をしているとき、家族とキモノの話になりました。彼女のお父様の着物と、お父様が亡くなられたときの話、私の母親が私のために誂えた泥染めの喪服の話、またその喪服を着た姿を両親が揃って見ることはないのだ、とかそういった話。二人で涙目になりながら、平成のこの世にもまだまだ着物とつきあう場面はたくさんあるのだと、感じた時間でもありました。
毎日生きて暮らして、60〜70年ほど生きて、その一日一日に着物がそっと寄り添っていた、そんなことが当たり前だった時代を生きた女性が書いた本です。懐かしい昭和の匂いとぬくもりのする内容で、三十代の着物好きにはオススメです。
2004.09.19
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